2009年 06月 20日
「二十歳の原点」
ー高野悦子(えつこ)。1969年6月24日、立命館大3年生のとき、京都で鉄道自殺をした。
悦子は大学ノートの日記を残していた。死から2年後、新潮社から出版された。「二十歳の原点」である。 ー
当時、この本はベストセラーになり、私も読んだ。
学生運動の真っただ中で生きていた悦子さんの苦悩、痛みに共感したのを覚えている。
あれから、40年。時代は変わった。
ー東大安田講堂攻防があった69年、立命館大でも寮問題から全共闘がバリケード封鎖をする。共産党系の民主青年同盟との対立。機動隊の導入。悦子は「機動隊、帰れ」と叫び、それを機に全共闘と行動をともにする。
しかし、日記を読むと、心が揺れているのがわかる。
「傍観は許されない。何かを行動することだ。その何かとはなんなのだろう」「私は要するに『心情的全共闘派のインチキ学生』」「階級闘争あるのみ(ウソだなあ、どうしたってこれはウソだよ)」「あたしゃ頑張りますよ。ブルジョアを倒すまでは。とか何とか言って大丈夫かい」。そして、「みごとに失恋—— ?」。 ー
悦子さんのこの時代に生きたがための悩み。
もし、自殺を思いとどまっていたなら、今頃おばあちゃんになって、お孫さんと楽しく暮らしているかもしれないのに、、、。
熱病に罹ったかのように、若者たちを闘争に駆り立てたものは何だったんだろう?
>熱病に罹ったかのように、若者たちを闘争に駆り立てたものは何だったんだろう
本当に!一つの方向からしか物事が見れない。振り返って冷静になれば・・・
これは普段の生活にも当てはまりそ^^;
翌年、昭和45年、ILは東京の日比谷にいました。
ヘルメットをかぶっていました。
機動隊とぶつかっていました。
誰かが行動しなければ、変わらない。
議員とて利己集団、外見の平和観は偽りにみちた欺瞞
今日の日本社会も疑惑の渦の中・・・。
こんなこと考えるとき、自分も歴史の一コマに参画したのだと。
積極的アイデンティティーの模索だったのかもしれない。
一つの哲学なのですから・・・。人であるがゆえに!
考えることがたくさんあり、模索していましたね。私も。
今でもひきずっているのかも??
ILさんの、コメントの入れ方を見ているとヘルメット姿は想像できませんが、、、。^ ^明るく変身されたんですね?